nobinobiokinawa’s diary

上ばかりを見上げていては、足元の花には気づかない。転んだからこそ見つけられる花や、見える景色を大切に記録していきます。

昔を振り返る

 

とある方から、下記の内容のアドバイスをもらった。

 

自分の体調不良の背景には

「過去の記憶や出来事」

これが大きく関係しているのではないか?

 

過去を振り返って、その時に感じていたことなどを思い出すのがいいのではないか?

 

確かに🤔

過去のことは、あまり考えないようにしていた。

それが、自分の心を守る方法だと思っていた。

 

今なら少しずつ、過去の扉を開けられるかもしれないので、この場で実践してみようと思う。

 

それではまずは幼少期から…

 

【幼少期 0〜6歳】

正直、そこまで記憶にない。

辛かった記憶もないし、特段楽しかった記憶もない。

 

親戚からは

「天真爛漫な自由人」

「はじめての場所では大人の裏に隠れてモジモジしていた」

と未だに言われる。

 

特にエピソードもないので、次に進みます。

 

【小学生 低学年 7〜9歳】

ここは色々と思い出がある。

学校・パーソナリティ・習い事

これに分けていこうと思う。

 

まずは学校。

学校は可もなく不可もなく。

特に行き渋りもなかったと思う。

 

次にパーソナリティ。

・6歳の時はとにかく人見知りだった。

誰かから喋りかけられないと言葉を発することがなかった…。

・7歳の時から明るく活発になった。

多分学校に慣れたのだろう。

そして、この頃から両親の仲が悪くなった

特に母は、父の悪口を私と姉に言っていた。

単純に母の話を聞いていたので、母に同情していた。

・8歳の時に事件が起きた。

それは小学3年生の教室にて、ふと外を見た時に、なんとなく生きづらさを感じた。

本当に何となく、生きるって大変だなと思った。

 

家庭環境が悪かったのかもしれない。

父の悪口を永遠に言っている母が嫌いになり、父と時間を過ごすようになった。

 

それと、謎の疑問を持つようになった。

ーー電球って何で光るの?何のために光っているの?

ーーこの世界は一体何でできているの?いつできたの?なんのために?

自分がなぜ生きているのか、とても不思議に感じた時期だった。

 

最後に習い事。

2歳から水泳をやっていた。

・7〜8歳の時に選手クラスに上がった。

学校終わり直接水泳教室に行き、2時間の練習を月〜土までこなしていた。

普通にキツかった。

 

タイムは次々と早くなっていくが、楽しくないので辞めようと思った。

辞めることを母には何となく言いづらくて、

父に辞めたいと言って辞めさせてもらった。

 

あまり自覚なかったが、母に言ったら否定されると思ったのだろう。

 

【小学生 低学年 10〜12歳】

こちらも、

学校・パーソナリティ・習い事

この3つに分けようと思う。

 

まずは学校から。

・9歳の頃

学校の先生が嫌いだった。

1人1人をしっかり見ていない気がして、なんか嫌だった。

言葉遣いが荒いと注意されたことがあった。反省反省。

・10歳の頃

親が離婚して、引っ越しをするかもしれない、という話があった。

驚きは特に無く「まぁそうだよね」と、納得した。

・11歳の頃

親の離婚に伴い、転校をした。

静かなキャラで行こうかな、と思い、学校ではあまり喋らなかった。

面倒くさかったのかもしれない。

 

次にパーソナリティ

そんなに記憶にないが、高学年あたりから気分の波が出てきた気がする。

明るい日の自分と、暗い日の自分。

 

意識的に変えていたわけでは無く、

明るくいるのになんか疲れて、

考えるの面倒だから今日は暗めで行こうかな、的な。

 

今思うとこの辺からなんかおかしかったのかも。

当時はどうしたら良いのか分からず、

心のどこかで、誰か気づいてって思っていた気がする。

 

次に習い事

水泳の選手クラスは辞めたが、水泳は好きだったので、他の教室の準選手クラスに入った。

※大会には出るが、練習量少なめ。

オリンピックは目指さないコース。

 

とはいえ練習きつい。

でも、チームの仲間と仲が良くて辞めようとはならなかった。

 

【中学生 13〜15歳】

こちらも、

学校・パーソナリティ・習い事

この3つに分けようと思う。

 

まず学校から

・1年生の時は、それとなく普通に生活していた気がする。

性格は明るめ。

たまに学校に行きたくない日があったので、そういう時は行かなかった。

 

・2年生の時に、転校した。

母の仕事が忙しく、父の方に一時的に行こう、

ということになった。

このことについては私も賛成だった。

この頃から謎の吐き気や頭痛が出始めた。

学校では、何でも話せる友達が1人いた。

その子といると楽しかった。

 

・3年生の時に、再び転校。

母の仕事が落ち着いたのもあり、母のもとに戻った。

このことについては、私も賛成だった。

この頃から、吐き気と頭痛が頻繁に起きるようになり、メンタル的にも不安定だった。

確実に気分に波があったが、どうしていいか分からず、気分に合わせて行動していた。

その結果、本当の自分の性格がわからなくなった。

 

次にパーソナリティ

先述の通り、気分の波を確実に感じていた。

しかしどうしていいか分からず、気分に合わせて行動していた。

その結果、本当の自分の性格がわからなくなった。

誰かに相談しようとは思わず、隠すのに精一杯だった。

誰にどう相談していいのかわからなかった。

 

最後に習い事

相変わらず水泳を続けていた。

中学3年生の時にファンスイミングを始めた。

泳いでいる時は、吐き気がおさまった。

 

【高校生 15〜18歳】

高校時代は波瀾万丈。

 

まず、伊豆大島の高校に進学を決めた。

当時の理由は、寮生活がしたいから・部活でフィンスイミングをしたいから、だった。

しかし今思うと、母と距離を置きたかったのかもしれない。

母は感情的に会話をする人で、それが割とストレスだった。

あと、体調不良であることが、母にバレるのが怖かった。

どうしても相談できなかった。相談の仕方がわからなかった。

だから、寮に入りたいと思っていたのかもしれない。

 

しかし、高校に入ったら入ったで大変だった…

 

高校時代も心身の不調が続く

高校に入ってから、頭痛は良くなったが、吐き気は相変わらず頻繁にあった。

そして、気分の波も時折あり、自分を苦しめた。

追い打ちをかけるように、下記の問題が勃発し、その後は自分の感情に蓋をするようになった。

 

高校での最悪トラブル

ここで詳しく書くのは避けるが、

途轍もなく理不尽な指導とイジメを受けた。

 

この学校はクソだ。大人も友達もクソだ。

こいつらを絶対に見返してやる、と思った。

 

そう思ったきり、自分の感情に蓋をして、何も考えず、ただひたすら勉強をした。

勉強だけは自分を裏切らないと思った。

100点取れた時にだけ喜びを感じた。

 

自分の感情に蓋をしてからは楽だった。

怒りも感じないし、悲しみも感じない。

勉強をしている時は楽しいと思えた。

 

でも、1年くらい経つと限界が来て、

ご飯を食べると吐き気がする→嘔吐

とてつもない虚無感

頭痛などに襲われた。

 

だんだん疲れてきて、何のために生きているのか分からなくなった。

 

そんな時、新しく赴任してきた先生から

『何も考えず、沖縄の大学に行ったら?』

と言われた。

 

“沖縄に行く”

と言う選択肢ができてから、

人生に対して少しやる気が出て、

その世界に飛び込んでみようと思った。

 

そして、本当に沖縄へ

 

【大学時代】

・1年生の頃

なんか、普通に楽しかった。

久々に心から笑った。

体調も良かった。やる気もあった。

とはいえ、テストで点を取れないことが怖くて、点数のためだけに、ひたすら勉強した。

自分と向き合うことはしなかった。

 

・2年生の頃

夜眠れない日が出てきた。

学校に行くと、喉が詰まって、息がしづらくなることがあった。

わけもわからず、行き帰りの車で泣くことがあった。

 

勉強も相変わらず、点を取るためだけに努力していて、正直辛かった。

 

喉の詰まりと不眠、慢性疲労が連日続き、

しっかり治そうと思って、心療内科に行った。

医師と話が合わず、3ヶ月くらいで行くの辞めた。

 

・3年生の頃

心身の状況がいよいよ最悪レベルに達した。

もう、何もかもが悪かった。

 

友人の勧めで、このブログをはじめて、

ようやく自分と向き合うようになった。

 

精神科に行き、カウンセリングと投薬を開始した。

正直人生に疲れていたので、通院当初は藁にもすがる思いで病院に行っていた。

辛かったが、長年の悩みが解決できるかもしれないと思い、次第に人生に期待するようになった。

 

同時に、何でも話せる友人ができ、その子のおかげで本当の自分を取り戻していった。

 

・4年生の頃

しっかりと自分と向き合い、

自分の本当の性格、自分の現状を受け入れるようになった。

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睡眠薬は必須だったが、そのほかの抗不安薬とかは、飲まなくても気分が安定するようになった。

 

【今】

本当の自分は、明るく元気で、周りを笑顔にさせられる性格。

でも、疲れたり悩みを抱えると、心を閉ざして暗くなりそうになる部分もある。

 

この性格が分かったので、自分と付き合いやすくなった。

 

だからこそ、疲れは溜めず、無理せず休む。

悩みは早めに相談して、早期解決を図る。

 

今はこれを工夫している。

 

とはいえ、まだ未解決な部分は沢山ありそう。

焦らず、今後も自分に向き合っていこうと思う。

社会人としての私

 

久々の投稿です。

 

昨年2022年に大学を卒業し、

今年で社会人2年目になりました。

 

思ったより、元気に暮らしています。

本当の自分を生きている、という感じです。

 

過去の投稿からも分かる通り、

中学〜大学までは、性格に二面性があった。

「明るく笑っている自分」

     VS

「虚無感に襲われている暗い自分」

このどちらが本当の私なのか、分かっていなかった。

気分の波が大きくて辛かった。

 

しかし、大学時代に沖縄という自然豊かな環境で自分と向き合って、

本当の気持ちや悩みを友達に話して、

自分の気持ちに嘘をつかずに生活した。

 

その結果、大学を卒業する頃には

「明るく笑っている自分が本当の自分だ」

と思えるようになった。

 

卒業後は、出身地である東京に戻って、

晴れて社会人となった。

正直入社前は、数ヶ月したら鬱病にでもなるんだろう、と思っていた。

でも意外と大丈夫で、今の所メンタルは正常に保っている。

 

他方で、社会人になった途端、体調がすこぶる悪い。

吐き気・めまい・頭痛

こちらがなんとも辛い。

病院に行っても異常無し。

薬をもらうがなかなか効かず。

 

こんな時、昔の自分なら、誰にも相談せずに

自分で抱え込んで我慢していた。

 

でも今の私は違う。

相談しても大丈夫、そう思える自分がいる。

 

勇気を振り絞って、話しやすい先輩方に相談した。

みんな親身に話を聞いてくれて、いろんな解決案を提示してくれて、とても安心した。

それだけで体調が良くなった気がする。笑

 

今もまだ体調は万全ではない。

体調不良の根本には、

自分の考え方であったり、

過去の記憶が関係しているのだと思う。

 

すぐに解決することは難しいだろうけど、

気負いしすぎず、社会人としての歩みを少しずつ進めていきたいなと思う。

 

心が壊れたら元に戻すのに大変な時間と労力がかかるから。

そして、もうあの頃の世界を2度と見たくないから。

 

ていちーなていちーな進んでいこう。

 

今日はこれくらいにしておきます。

THE MENTAL MODEL

知人に紹介してもらい、この本を読みました。

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人間には4つのメンタルモデルがあり、その一つに「価値なしモデル」があります

 

「まだまだやれる」「やればできる」「自分を高めたい」その一心のタイプの人です。

著者によると、このタイプの人は「期待外れ…」「そんなもんか…」そう思われるのが怖く、常に頑張り続けるそうです。

 

「克服型の行動中毒」

 

あぁ、これ私じゃん。読みながらそう思いました。

 

本を読んで、このタイプの人の強みは「目標に向かって突き進む力がある」ことだと認識。

私自身これまで、自己肯定感が低い分、何かと頑張って来て、自己効力感を高めるという作業を行なってきました。(いわゆる、適応期です。)

 

しかし、突っ走ってきたからこそ

「なんかもう頑張るの疲れたな」 

「常に価値基準で行動の取捨選択をして来たけど、そのせいで本当の自分を無くしてしまったな」

「どう生きたら良いのかな」

そんな思いも、この数年抱いていました。(いわゆる、直面期です。)

直面期は、何らかの病気や事故、衝突が原因で突入すると著者は言います。

 

確かに、人から認められるということは、安心します。

ここにいて良いんだな。自分は間違っていないんだな。と思うことができます。

でも、外側基準で動いているから、自分という内面を失ってしまうのです。

 

この本を読んで、著者の言いたいことは、すごい理解できます。

自分を変えて自由に生きたいとも思います。でも、まだ怖いです。

 

頑張らない自分に何の価値があるのか。

頑張らなくなったら、これまでの頑張りも無駄になってしまうのではないか。

 

心はそう叫んでいます。

 

なので、まずは小さいところから。

食べたいものを食べる。寝たい時に寝る。行きたい場所に行く。

人の期待を無視して、自分の心に従う練習をしようかと思います。

 

目標は「周りの目を気にせずにサボること(笑)」

 

P.S. 私が完全に自分の心に従っている時、ありました!旅行中です!

私は一人旅が好きなので、1人でどこかに行った時は、自分の行きたいところに行って、帰りたい時に宿に帰る。食べたい時に食べたいものを食べる。

めちゃくちゃ楽です。「うわ、今、生きてるなぁ…」と思う。

だからどんなに金欠でも、貧乏旅をするんでしょうね。

 

複雑。

 

【要約】

体調良くなった頃に、緊急事態宣言。

良くなってるものも、悪くなりそう。

 

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4年前から感情を意図的に殺すようになって、

2年前までは偽りの表情を作って暮らしてた。

 

偽りの感情・表情でいたから、本当の自分の気持ちがどんどん薄れていって、何が何だか分からなくなった。

 

さらには、2年前に調子を崩して以降は、悪化の一途で、友達と遊ぶ約束が怖くてできなくなった。

 

でも、ようやく今になって
自分の体調コントロールはある程度できるようになった。
遊ぶ計画も立てられるくらい、先が読めるようになった。

 

そしてなにより、最近になって、

〝楽しいから笑っている時〟

〝必要だから笑っている時〟

この2つの違いが自分でも分かるようになってきた。


ようやく、感情を無意識のうちに無くし、

演技に切り替える癖がなくなった。

 

そんな時に

コロナ🦠、緊急事態宣言、外出自粛って…
いや、分かるよ。分かる。別に文句言いたいわけじゃない。

ただ、なんかこう…
せっかく良くなってるものもこんな状態だと悪くなりそう。

 

どこまでならいいのかな。

友達とご飯行くのは良いのかな。

友達と家で遊ぶのは?

友達と屋外で遊ぶのは?

 

「緊急事態宣言明けるまで全部我慢しなよ」

そういう意見が真っ当だけど、

次にいつ体調不良になって、いつ友達と遊べなくなるか分からない人間にとっては

 

そんな真っ当な意見聞きたくない。

わがままなのは分かってるから、従うけど。

 

私はワクチン2回打ち終わってるし、

友達は既にコロナかかってるから、

遊びたいな。って、正直思う。

 

とっても複雑だと思います。

 

親に言えないということ。

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私は、自分の不調を親に言えない。

 

中学で体調を崩した時も1人で病院に行き

高校で悩んだ時も、もう全部やめたいと思った時も1人で考え

大学では金銭面でも親に頼らなくなった。

 

親と仲が悪いわけではない。

むしろ、仲が良すぎるくらいだ。

 

親に言わない理由は

親に心配をかけたくないからなのか、

完璧な娘を演じたいのか…

 

正直、なぜ親にここまで隠すのか、自分でも分からない。

 

だけど、「言いたい」とも思わないし、「言わないといけない」とも思わない。

 

14歳から親元を離れて生きてきた私、

ある程度のことは自分でできる。

 

親のことは大好きだけど

親の助けがなくても、生きていけるとも思っている。

 

それなら別に、わざわざ改めて言う必要は無い。

 

まぁ、何かのタイミングで言わないといけない状況になったら、このブログでも見てもらおうと思う。

 

そして言いたい。

「決してお母さんの責任ではない。」

「昔はどうあれ、今は自分の人生を、今の自分を、それなりに楽しんでいる。」

「なにより、お母さんの子供に生まれてきて、本気で良かったと思っている」

ということ

これまでの私と今の私。

小学生の時から生きづらさを感じて

中学の時から心身に不調が出てきて

高校で一度、生きることを諦めかけた。

 

そんな時、沖縄出身の先生が

「大学は沖縄行ったら?」

と言ってくれました。

 

人生に対してなんの目的もなく、

何も楽しくなく、別にいつ死んでも良い。

って思っていたけれど

 

〝沖縄の大学…沖縄で暮らす…〟

という道が見えてから、少しずつ気持ちを切り替えて、本当に沖縄の大学に進学した。

しかも、都心の那覇とかじゃなくて、自然が豊富すぎる名護の大学。

 

大学に進学後も、人生に期待とかしてなくて。

だけど、表面で笑っていればきっと良いことあるかな。

なーんて思って学校では常に笑顔でいた。

 

そしたら、周りに多くの人が集まってきた。

友達も教授も後輩も。みんな笑顔で接してくれた。

 

だけど、そりゃ表面で笑ってるだけだから

大学2年に上がってすぐ、また心身に不調が出てきて。

 

あーもうマジで…。最悪。

とか思ってたけど、

それでも学校では笑って過ごしてた。

 

そしたら、やっぱり周りには笑顔の人が寄ってきて、その人の笑顔を見て、自分も笑顔になった。

 

どんな時も笑って明るく人と接すること。

そうすれば自分も明るい気分になるし、

相手の笑顔を作ることもできる。

 

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これって、とっても素敵なことだと思う。

 

だけど、もちろん、限界を超えた無理をしてまで笑う必要はないと思う。

だからこそ、笑えない時は堂々と「体調不良」と言って、バリバリに休んでやろうと思ってる。

 

「体調不良」で休むこと、別に悪いことじゃない。

私にとって、表面だけでも笑えない日は立派な体調不良。

そう思えるようになったのが1年前。

うまく使えるようになってきたのが半年前。

それを、真の意味で受け入れられるようになったのは先月。

 

沖縄に来なかったら…この大学に入らなかったら…今の友達に出会わなかったら…

私は今頃、ここまで笑えてないと思う。

 

本当に、全てのものに感謝。

 

近況…

最近は、吐き気とかの体調は落ち着いている。

月に一回、薬が効かない日があるくらいで、それ以外の日は調子いい。

 

心のほうも、まぁ、それなりに順調。

 

今は病院に通いつつ、大学にも行っている。

大学に行けること、友達と話せること、

笑えること。全部が尊い

 

体調に左右される生活にもう疲れた

 

タイトルの通り。

 
もう疲れた。
 
ポジティブに考えられていた数ヶ月前の私。
それ、本当の私?
 
小学3年生の頃に「自分生きるの向いてない」
って思って
どうにか生きてきたけど
中学の時ついに、学校に行けない体になって。
 
朝起きてまずは自分の体調を確かめる。
ー 今日学校行けない日だ。
ー 今日は学校行けそう。
ー 少しなら学校いけそう。
そんなふうに自分と相談。
体調に合わせて気分も変わる。
 
なんで体調に左右されないといけないの。
昔も今も、そう思う。